日本のスキーが大きな結実をみせたこと。デモンストレーター、役員各位の努力に多大なる感謝を。
第21回インタースキー日本代表団団長
公益社団法人日本プロスキー教師協会(SIA)会長中島英臣
アルゼンチンの最南端、南極に最も近い町ウシュアイアのインタースキーから早いもので4年が経ちました。2019年のインタースキー開催地がブルガリア(パンポロボ)に決定した後、ウシュアイア大会での反省点を踏まえ、インタースキーインターナショナルに加盟している日本インタースキー委員会として、SAJとSIA両組織が綿密な打ち合わせをしながら準備をしてきました。
日本の代表団は、デモンストレーターが16名(SAJ10名、SIA6名)、役員は通訳含めSAJが8名、SIAが6名の計29名に決定。かつて日本は大人数でインタースキーに参加していました。1987年の第13回カナダバンフ大会では、公式派遣団、視察団合わせて225名という今では考えられない人数でした。私もデモとして、蔵王とカナダ(バンフ)、役員としてバイトストレーン(ノルウェー)、ピョンチャン(韓国)、サンアントン(オーストリア)に参加しましたが、時代とともに明らかにインタースキーのあり方、そしてもちろんスキー技術も変化しています。そのような流れの中、ウィンタースポーツの多様化を実感したのは、第16回バイトストレーン大会でした。テレマークスキーが初めてインタースキーに取り上げられ、日本もテレマークスキーのデモを派遣したのです。この年のテーマは、「SnowSportsinChange」。2000年代になるとスキー環境がさらに大きく変わってきます。ノーマルスキーからカービングスキー、深雪を滑りやすくするためにスキーの幅も広くなり、用具も大きく変化しました。温暖化により降雪機の導入でバーンも硬くなり、圧雪車も普及しています。カービングスキーの普及でサイドカーブも変わりスキーも短くなり操作しやすくなりました。そのためにスキーヤーのスピード次元が上がり、世界的に接触事故が多発したこともあって、「安全」のためのヘルメット着用がスタンダードとなりました。このような変化の中、インタースキーも指導者だけでなく、一般のスノースポーツ愛好家を意識し、スノースポーツの楽しさをアピールすべく、ショー的要素が組み込まれるようになりました。また、各国の指導方法をより深く学ぶためにワークショップ形式も取り入れられました。このスタイルは、現在に至るまでインタースキーの重要な形として定着しています。
今回のインタースキーでは、より観客を楽しませるためのショー的要素として、フォーメーションの高い完成度が不可欠でした。それを成功させるために、選ばれたデモや役員が忙しい中、2月12日~14日長野県戸隠スキー場にて合同トレーニングも行いました。初めて両組織が集まり、雪上と屋内で久慈総監督(SIA)と出倉義克氏・関口淳氏(SAJ)両コーチを中心にデモと熱い議論も交わしながら意思疎通を図りました。
インタースキーにはテーマがあり、そのテーマに沿って各国が発表を行ないます。今回のインタースキーのテーマ「FUTURESNOWSPORTS」は、「スノースポーツの未来像はどのようなものか?」という問いかけになっていますが、2003年にも同様のテーマ「TheFutureofSnowSports(スノースポーツの未来)」が掲げられていました。しかし2003年当時と現在では、時代背景も大きく違ってきていますし、世界的に「遊びの多様化が進んでいます。もちろんスノースポーツ界の現状も同じです。今回のテーマは、より現実的で今のスノースポーツを取り巻く環境に適した内容に感じました。
今回の会場であるブルガリアのパンポロボスキー場は首都ソフィアから260km離れているところにあります。ブルガリア南西部のロドープ山脈の中心にありギリシャと国境を接し、スネジャンカ岳(Mt.Snezhanka:1,926m)のテレビ塔を中心に、初心者や中級者に最適な斜面が多く、ロングクルージングを楽しめるコースが揃っています。メインとなるスロープは、スキー場のランドマークでもあるテレビ塔直下の急斜面で、観客がデモンストレーションを一望できる場所でした。これまで練習した成果を存分に発揮するには最適なシチュエーションで、日本チームのフォーメーションは観客を魅了し、ひときわ目立つ喝采を浴びていました。その評価の現れとして、日本チームの室内レクチャーと雪上ワークショップには、各国が競うように参加していたことに安堵しました。
インタースキーは4年に一度開かれ、国同士の競い合いではありませんが、ある意味で「基礎スキーのオリンピック」とも言えます。今回選ばれたデモ達は、選ばれたことに誇りをもち、他国のワークショップに参加し学んだこと、他国の方々と交流し親睦を図った貴重な経験を生かし、「スノースポーツの素晴らしさ」や「スノースポーツの楽しさ」を日本のスノースポーツ指導者、愛好家にしっかり伝えていただきたいと思います。
また今回は時代に合わせ、期間中の様子をYouTubeへのタイムリー投稿で毎日発信できるようにしました。担当の出口超(SIA)コーチは、朝から夜遅くまで息の抜けない日々だったと思います。通訳の北神有理氏(SIA)、真鍋典子氏(SAJ)も、スキー場とレクチャー会場を行き来しながら、日本の発表に遅くまで対応してくれました。ワークショップの発表をした久慈修総監督(SIA)、石毛勇介氏(SAJ)、現場でデモ達が素晴らしいパフォーマンスを発揮できるよう配慮してくれた出倉義克ヘッドコーチと関口淳コーチに、深く感謝申し上げます。
また、何よりうれしかったのは、SAJとSIAのデモ達が率先して朝早くからピステに出て練習し、他国のワークショップへも一緒に行動していたことです。団長としての重責を背負いながらもすべてを成功の内に終えることができたことは、公益財団法人全日本スキー連盟の役員とデモの方々、公益社団法人日本プロスキー教師協会の役員とデモの方々のインタースキーへの熱い思いと、一丸となった協力なくしては、あり得ないことだったことを記しておきます。
最後に、派遣するにあたり、尽力くださった関係各位、多大なるご支援とご協賛をくださったスポンサーの皆様に心よりお礼申し上げます。ありがとうございました。次の開催地は2023年フィンランド(レビ)です。次回もSAJとSIAが手を取り合い、次回のインタースキーも成功することを願いたいと思います。
「日本チームデモンストレーション・オープニング」
「日本チームデモンストレーション・ナイトショー」
「日本チームデモンストレーション・全編」