いつの日か再び日本でインタースキー開催を!
第22回インタースキー日本代表団副団長
公益社団法人日本プロスキー教師協会(SIA)
会長 杉山公信
さて、今大会の何が素晴らしかったか? まず日本サイドからみると「チームの結束力と十分な準備、現場でのリーダーシップ」であります。今回はSAJが幹事団体であったわけですが、松沢総監督はじめコーチ陣の、フォーメーションおよびワークショップ発表に向けた準備では、完成に至るまでの苦労は並大抵のものではなかったはずです。彼らはとても多くの時間と労力を惜しみなくかけました。そしてその苦労に応えるように素晴らしい演技を世界にアピールしてくれた現役デモンストレーターの皆さん。デモンストレーションはもちろん、ワークショップの内容に対しても最大級の評価を得られたことは、日本チームとして大変誇らしいことでありました。
また、各国が発表する「室内レクチャー」も、多様な情報や考え方に触れられる絶好の機会でありインタースキーの見どころなのですが、わが日本チームの発表は、SIAの北神有理さんがスピーチを担当し、ときにユーモアを交えながら細かなニュアンスまで表現して、参加者から喝采を浴びました。
日本チームがこれほどの活躍を見せたのは、中心となって事前対応を進めてくださったSAJ事務局の皆様のおかげありましょう。栂池高原での事前合宿から参加した梶田さんは、現地運営事務局とのさまざま折衝においてもいかんなく手腕を発揮され、まさに縁の下の力持ちでした。関係したすべての役員の皆さまに心より敬意を表します。
今回のレビ大会では、初めてアプリによる情報開示・各種エントリーが行なわれ、従来は毎早朝行なわれていた「チームリーダーミーティング」もなく、入手すべき情報は常に最新にアップデートされ、必要とあればアプリを通じてイージーアクセスが可能でした。これらIT技術をフルに活用した運営は素晴らしく注目に値するものだったと言えましょう。
インタースキーの開催地は通常、大会期間中に行なわれるインタースキー総会時に次回に向けて数国の立候補地がプレゼンを行ない、投票で決まるのが慣例です。ところが次の開催地については開催地の費用負担などの問題もあり、現在のところ決定をみておりません。とはいえ興味を示している国もあり、決まるのも時間の問題と期待しています。
日本には1979年の蔵王大会、1995年の野沢温泉大会と過去2回の開催実績があります。実際の開催と運営には大変な労力がかかりますし、簡単なことではありませんが、もし「再び日本で開催」となれば、自国開催のアドバンテージを生かして、より多くのデモンストレーターが参加できる大会になるでしょう。また、多くのスノースポーツ教師と一般のスキーファンが同じ会場で、世界各国の滑りを見て、ワークショップを見学し、外国人デモンストレーターと友好をあたためることができるのです。30数か国からの参加する約2000名のトップスキーヤー達がSNSを通じて情報を拡散させ、本国にその体験を持って帰れば、まさに「世界のスキーはひとつ!」ということを具現化できるのです。
インタースキーは開催地となるスキー場が、「インタースキー・インターナショナル(インタースキー事務局)」と連携して準備運営しますが、実際には開催地観光協会等を中心として立ち上げる現地運営事務局とスキー場が準備対応することになります。もちろん、SIAもSAJも今まで以上に強力な協力体制で臨む必要があるでしょう。しかし、その努力からもたらされるものは、スキー界にとってはとてつもなく大きな成果となるはずです。
日本のウインタースポーツさらなる発展、世界に誇れるスノーリゾートとして海外からお客様を迎えるおもてなしのクオリティ向上などを考えたとき、「いつか再び日本でインタースキー開催を!」と願ってやみません。